めざす子ども像を改正した意図

2009 年 7 月 13 日
30年前、創業期に制定された「めざす子ども像」は、総合的で系統的な保育計画の出発点となったものです。いまこの時点で改正した意図を簡潔に述べます。(子どものその主任 深野和久)
はんとう棒の実践で感じられた子どもの変化
3年前の総会で、「社会の変化に伴って子どもたちが変わってきた」ことを問題提起しました。衝動的で攻撃的な子、ぼんやりしていて周りと関わろうとしない子、排泄や食事などの生活面でつまづいている子などが目立つようになってきたのです。
私たちは、こうした子どもたちの変化に追随するのでなく、「子ども本来の力」をしっかりとひき出していこうと、子どもの発達についての研究を進めながら、意識的に取り組んできました。3年前の総会議案書では、はんとう棒登りを例にあげました。のぼれる子が少なくなっていくのを手をこまぬいているのでなく、ターザンでぶら下がったり、木登りに挑戦したりしながら、棒の先に果物の模型や楽器をぶら下げたりして、楽しくはんとう棒を登らせ、がんばればできる「本来の力」をひき出す取り組みをしてきました。
子どものそのの「めざす子ども像」は創業期に策定され、それに基づいて総合的で系統的な保育計画が作られました。それを毎年、毎月、手直ししながら保育しています。しかし社会や子どもたちの変化があまりにも早く大きく、その現実から出発する必要性があると考え、保育計画の全面的な見なおしをすることになったものです。その手始めが「めざす子ども像」です。
子どもらしさが失われている
3歳児では好奇心が旺盛で、出来ても出来なくてもやってみたい、出来ないと怒ったりするのが普通の姿ですが、このごろは「わからない」「できない」と初めからやろうとしない子がいます。
4歳児では、グループの給食当番になると、手伝えるのがうれしい筈なのに、数を間違えたり、牛乳をこぼすのが心配で「やりたくない」とぐずったり、「やだから替わって」という子もいます。こうした傾向は年長になるともっと顕著で、新しい課題に極度に緊張したり、抵抗する子が少なくありません。また、何かが出来たことが自信になり意欲につながるといいのですが、たとえば跳び箱が跳べるようになって、「よかったね」とまわりが喜んであげても、本人は「もういい」と、そこで終わってしまう場合もあります。
人との関係では、なかなか甘えられない子がいれば、ベタベタ先生にくっついて離れられない子もいます。どちらも上手に甘えられないのです。子ども同士の遊びでも、「やっちゃいけないんだぞ」「それはだめ」と互いに牽制しあって、ほんとうにのめりこんで遊べない傾向も見受けられます。
こうしたことを一言で表現するなら、「子どもらしさが失われている」ということではないでしょうか。
人とつながって生きていくということ
私たちは、「子どもらしさ」とは何かということを真剣に考えました。
「甘えたいときに甘える」
「失敗を恐れないでやってみる」
「人とつながって生きていく」
これらのことは、ほんとうならごく当たり前の子どもの姿です。この当たり前の生き方を体験させてあげたいと思います。
思春期に犯罪に走った少年たちの気持ちの中には、「生きている実感や手応えがなかった」ということが報じられています。そう言う意味では、幼児期からの具体的な経験や失敗、人とのぶつかり合い、自然に触れた感動などが重要で、子どもが子ども時代を豊かに生きている証と言えるでしょう。
この「子どものそののめざす子ども像」を基本に、保育計画全般を見直し、充実させていきたいと考えています。
30年前、創業期に制定された「めざす子ども像」は、総合的で系統的な保育計画の出発点となったものです。いまこの時点で改正した意図を簡潔に述べます。(子どものその主任 深野和久)


はんとう棒の実践で感じられた子どもの変化


3年前の総会で、「社会の変化に伴って子どもたちが変わってきた」ことを問題提起しました。衝動的で攻撃的な子、ぼんやりしていて周りと関わろうとしない子、排泄や食事などの生活面でつまづいている子などが目立つようになってきたのです。

私たちは、こうした子どもたちの変化に追随するのでなく、「子ども本来の力」をしっかりとひき出していこうと、子どもの発達についての研究を進めながら、意識的に取り組んできました。3年前の総会議案書では、はんとう棒登りを例にあげました。のぼれる子が少なくなっていくのを手をこまぬいているのでなく、ターザンでぶら下がったり、木登りに挑戦したりしながら、棒の先に果物の模型や楽器をぶら下げたりして、楽しくはんとう棒を登らせ、がんばればできる「本来の力」をひき出す取り組みをしてきました。

子どものそのの「めざす子ども像」は創業期に策定され、それに基づいて総合的で系統的な保育計画が作られました。それを毎年、毎月、手直ししながら保育しています。しかし社会や子どもたちの変化があまりにも早く大きく、その現実から出発する必要性があると考え、保育計画の全面的な見なおしをすることになったものです。その手始めが「めざす子ども像」です。

子どもらしさが失われている


3歳児では好奇心が旺盛で、出来ても出来なくてもやってみたい、出来ないと怒ったりするのが普通の姿ですが、このごろは「わからない」「できない」と初めからやろうとしない子がいます。

4歳児では、グループの給食当番になると、手伝えるのがうれしい筈なのに、数を間違えたり、牛乳をこぼすのが心配で「やりたくない」とぐずったり、「やだから替わって」という子もいます。こうした傾向は年長になるともっと顕著で、新しい課題に極度に緊張したり、抵抗する子が少なくありません。また、何かが出来たことが自信になり意欲につながるといいのですが、たとえば跳び箱が跳べるようになって、「よかったね」とまわりが喜んであげても、本人は「もういい」と、そこで終わってしまう場合もあります。

人との関係では、なかなか甘えられない子がいれば、ベタベタ先生にくっついて離れられない子もいます。どちらも上手に甘えられないのです。子ども同士の遊びでも、「やっちゃいけないんだぞ」「それはだめ」と互いに牽制しあって、ほんとうにのめりこんで遊べない傾向も見受けられます。

こうしたことを一言で表現するなら、「子どもらしさが失われている」ということではないでしょうか。

人とつながって生きていくということ


私たちは、「子どもらしさ」とは何かということを真剣に考えました。

「甘えたいときに甘える」

「失敗を恐れないでやってみる」

「人とつながって生きていく」

これらのことは、ほんとうならごく当たり前の子どもの姿です。この当たり前の生き方を体験させてあげたいと思います。

思春期に犯罪に走った少年たちの気持ちの中には、「生きている実感や手応えがなかった」ということが報じられています。そう言う意味では、幼児期からの具体的な経験や失敗、人とのぶつかり合い、自然に触れた感動などが重要で、子どもが子ども時代を豊かに生きている証と言えるでしょう。

この「子どものそののめざす子ども像」を基本に、保育計画全般を見直し、充実させていきたいと考えています。

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