大人の中で生きる子どものつらさ

2009 年 8 月 9 日

大人の中で生きる子どものつらさ  いらいらの悪循環を断ち切るには

園長 深野  和久

この実践報告は、2006年12月2日、法政大学市ヶ谷キャンバスで開かれた
「第52回子どもを守る文化会議」の分科会で発表されたものの要旨です。

dote-1 1, ロボットではない人間を求めていたA君
A君は3歳児(年少)で入園した。大人の気を引くように誰でも構わず馴れ馴れしく話しかけていた。バスの中で送迎の先生が何か言えば、その話に絡んで一人で喋り始めるが、会話を楽しむというよりは一方的に喋っている。周りの子どもたちは話についていけず、うんざりしている様子だった。

年中に進級するころから、次第に仲間とのトラブルが多くなっていった。嫌がる子をしつこく追い回したり、ことばでからかったりする。そのため「何もしないのにA君が嫌なことをする」という子どもたちの声が多かった。

そのたびに、担任やその場に居合わせた職員がA君と相手の子、回りにいる子の言い分を聞きながら話し合うが、A君は自分を守るように話をそらしたり、相手のせいにしたりする。相手の気持ちを受け入れるようなところが見られなかった。話が進まず「それは、違うんじゃないの。」などと、大人が意見を言おうものなら、「あっ、そう…。」とふてくされた感じで心を閉ざしてしまう。
毎日、そういうことが起きるので周りはいらいらし、小さなことでも「また、A君がやってる。」と過剰反応するし、A君も周りから冷たい目で見られたり、先生や大人から注意されたりすることで、ますますいらいらが増幅する悪循環があった。

A君の親子関係は、最初から少し気になるところがあった。
帰りにA君がバスから降りると、母親は子どもの顔を見るよりも先に「はい、先生にあいさつ。」と険しい表情で言う。帰ってきたわが子を受け止めるという気持ちが見られない。また、同じバス停の子どもたちともトラブルが多く、親同士の付き合いも上手くいかない様子だった。
「しっかり育てなくては」という母親自身の気負いが、A君にも影響していたに違いない。もともと子どもにべたべたされるのが苦手な母親は、小さいころからことばで言い聞かせていたらしい。父親は仕事が忙しいようで、A君にあまり関わらなかった。一人っ子で甘えたい気もちは人一倍なのに、上手く甘えられず、自分の存在を誰かに認めてもらいたくて、必死にぺらぺらと喋っていたのかも知れない。また、トラブルを起こすことで、周りの目を自分に向けさせていたのかも知れなかった。

dote-2年中の一学期、昼寝のときにあまりにふざけすぎ、担任に怒られ、それでもへらへらと笑っていたので、とうとう私(園長)のところに連れてこられた。それまでにも何度か話し合ったが、この日は真剣に話してみようと思った。長い時間話し合って(私が一方的に話しただけかも知れないが…)今にも泣きそうな表情になっていたが、最後まで自分が悪いと認めなかった。そして、A君の口から出たのは「おまえなんかロボットだ」ということば。…それには返すことばがなかった。
彼が求めていたのは、自分の行為を制止する「ロボット」ではなくて、自分のもやもやする心に寄り添ってくれる「人間」なのだ。

それからは、A君のことを頭ごなしに叱るのではなく、A君の代わりにみんなに謝ったり、気持ちを代弁したりしながら、「おれたちは、仲間なんだから」「困ったときは助けるから」という気もちで関わった。
二学期後半、コマに興味を持ったので「一緒にコマの対決をしようよ」と誘い、練習が始まった。「園長、またあそびに来てやったぜ。」と、クラスの活動の合間に、職員室に通ってくるようになった。
ここではっきり分かったのだが、彼はかなりの不器用である。紐もうまく巻けず、最初のうちは捲いてあげたが、それでも回ったり回らなかったり。体や腕の動きがとても固い。近くでは、年下の子たちがすいすい回している。
とはいえ、口先だけではない手指を使った遊びで、仲間との共感を経験したことは、大きな前進だった。勝ったり負けたりしながら、相手を受け入れる余裕も少しずつ生まれてきた。年長の後半にはベイゴマにも挑戦し、相変わらず不器用ではあったが、少しずつ自信もついてきた。
職員全体でA君のことを受け止める構えができてくると、彼の表情がだいぶ穏やかになった。また、困った時には先生を頼ったり、甘えるようなしぐさも見せるようになった。クラスの中もだいぶ落ち着いてきて、A君のことで大騒ぎをしなくなった。A君と一緒にふざけて追いかけっこをする子も出てきた。

dote-3「延長保育に入れたい」と母親が仕事を始めた。近所の友だちと気を使いながら遊ぶよりは、園でゆっくり遊ばせたいというのが本当の理由だ。確かに、延長保育はA君のペースで過ごせる貴重な時間であった。
だいぶ慣れてきた頃に、「早くお母さんに会いたい」と甘えの気持ちがでてきて、少し早めに迎えに来てもらったこともあった。母親もそういうA君の気持ちがようやくわかってきたようだった。
年長の2学期に、A君が前をよく見ずに走って、年下の子を突き飛ばして怪我をさせてしまった。A君は相手に対して「そんなところで急に立つからだ。」と言っていた。

その事をA君のお母さんにも率直に話してみた。そして、「A君自身が一番ショックを受けているんだから、お母さん絶対に怒ったらだめだよ」と念を押して分かれた。お母さんは、家に帰って、A君が自分で話し出すのを粘り強く待ってみたが、とうとう話が出なかったので、「今日は何かあったの…。」と話を切り出したらしい。そして、親子一緒に相手の家に行って、まず親から謝ったのである。
それはつらい出来事ではあったが、親子にとっては一つの壁を乗り越え、信頼の絆が深まる契機になったかも知れない。


2.親と子どもが向き合う「はじめの一歩」に

「気になる子」にどう接するか、園だけが必死に考えていてもなかなか解決するものではない。それはやはり家庭との連携が重要で、一緒に相談するだけでも何らかの手がかりが得られ、子どもが変わってくる場合がある。ただ、いきなり「相談しましょう」と持ちかけても、本音で悩みを語れるわけでもなく、逆に「うちの子に心配はありません。」と、心を閉ざしてしまうことさえある。

親たちは、子育てに対する意識や関心がないわけではない。むしろ、子育てに対する意識や関心は強いのだが、子どもと心が向き合っていると言えるだろうか。お金を出して勉強会に通ったり、良い絵本を求めて遠くへ出かけたりもする。ただ、そういう思いが必ずしも子どもの気持ちとかみ合わずに、熱心さが一人歩きしている印象がある。今、子どもたちが何に熱中し、親に何を求めているのかを分かって欲しい。つまり、子どもとあそびや生活で真に向き合うことが必要なのだ。

3.アスレチックづくりから、子どもに目が向いてきた  お父さんたち

母親が一人で子育ての悩みを抱えているケースは多い。子どもの相談で話し合っていても、途中から父親に対する愚痴になっていることがある。厳しい労働の実態はありつつも、どこかで子どもに対する目を開き、幼児期のうちに父子の信頼関係を築いておかないと、思春期になって取り返しがつかない。
一昨年、園の40周年記念行事として、アスレチックづくりに取り組んだ。企画をしたのは理事(父親)たちである。まずは、何ヶ所かの公園を視察し、デザインの作成。

ここで、設計の仕事をしている父親に、「子どもたちのために、どうか専門家の力を貸してください」とお願いし、仲間に加わってもらった。さすが専門家、父親たちのいろんな意見を受け止めて、帆船をイメージしたあそび心たっぷりの設計図ができた。

091801次に材料の調達。埼玉の山奥にある名栗村(現在飯能市)に出かけ、役場に協力を求めた結果、山林の中の間伐材(丸太)をもらえることになった。
無料とはいえ、急斜面から林道まで丸太を引き出すのが大仕事。園全体に手紙を出して父親たちに「アスレチックづくりのボランティアになってほしい」と呼びかけたところ、約50人から「参加したい」という回答が届き、丸太をとりに行く日は約20人が参加した。山仕事など誰もが初体験。お互いに初対面なので口数は少ないが、間伐材を運び出し、トラックに積み込む作業を繰り返すうちに気持ちがほぐれて、不思議な連帯感が生まれてきた。

102401その後、毎週土日に集まっては、園庭の植木を掘って植え替えたり、基礎のコンクリートを流し込む穴を掘ったり、名栗村から取ってきた杉の丸太の皮むきをしたりと作業が続いた。大型の機械などないので一つ一つ手作業で重労働だったが、父親たちのエネルギーはもう止まらなかった。9月から始まり12月末にはほぼ完成し、忘年会は船のアスレチックをライトアップして、焚き火と鍋を囲んで行われた。
こんなに熱心な父親たちも、実はどこにでもいる「普通のお父さん」で、普段は仕事に追われ「子どもの寝顔しか見ていない」という人がほとんどだ。また、アスレチックを始めるまでは、子育てにそれほど意識的でなかったという人もいる。設計を担当したCさんも、「これまでは園の行事に少し距離を置いていた。理事さんみたいに熱心な人たちがいるが、自分はそこまではやらないつもりだった。」と話していた。そのCさんは、設計だけでなく、アスレチックの作業でも毎回積極的に汗を流し、忘年会の時には子どもの心配なども打ち明けるようになっていた。翌年からは理事になり、運動会の競技中には係の仕事もこなしながら、われを忘れて自分の子どもに声援をおくっていた。

111301また、作業中に自分の子どもがうろちょろしていると、怖い顔で叱っていたDさん。母親からも「うちの夫はよく怒るので、子どもとの関係がギクシャクして心配です」と相談があったほどだ。そのDさんも周りの父と子の接し方を見ながら、子どもと一緒に楽しそうに遊ぶようになった。

アスレチックの作業が予定よりも早く終わってしまった日、突如ベイゴマが始まり、初心者の父親たちにも丁寧に教えながら、みんな夢中になってしまった。その後、このお父さんたちが理事になり、翌年秋の行事では「ベイゴマ教室、ベイゴマ大会」を担当し、新しい父親たちにあそびの楽しさを伝えていた。園の経営にも知恵をしぼりながら、「お父さんと遊ぼう」では中心になって行事を盛り上げている。

今年の秋から、お父さんたちの畑づくりが始まった。発案者はこれも理事さん。年長組が使っている畑が、夏以降「眠っている」のはもったいないし、自分たちも子どもと同じ体験をしてみたいというのが提案理由。11月のバザーに自分たちの育てた野菜が出せれば園の財政にも貢献できるという活動目標(名目?)を掲げて、園全体に参加希望者を募ることになった。「お父さんが畑やって、本当におもしろいのかなあ…」と最初は半信半疑だったが、毎週メンバーの入れ代わりはあるものの10人から20人がやってきた。親子で会話をしながらのんびりと草をとったり、種を蒔いたり、作業のあとは園の庭にかまどを出して、間引きや収穫した苗を味噌汁にして味わったりと、秋の行事のあわただしさをしばし忘れさせてくれるとりくみだった。

子どものことや園の行事を口実にしながら、実は自分たちも楽しんでいる、時には子どもそっちのけで夢中になれる、そういう場が今の父親にはとても大切ではないか。息抜きをしながら、父親同士がゆるやかにつながっている。理事会の中には、『お父さんとあそぼう委員会』という部門もあって、山登りやキャンプ、こま大会などを計画的に運営している。園もサポートしているが主に父親たちがそういう働きかけをして、また次の父親たちへと受け継いでいることに、大きな意味がある。

父親のあそび心や冒険心は、園の保育方針や活動内容の支えにもなる。保育中の散歩でザリガニやカエルをとるために、泥沼のような湿地帯にずぼずぼ入ったりするが、こうした活動が大胆にできるのも、「今の子どもたちにこれが必要だ」という父親の意識があるからだ。

「子どもの前で絵本を読んでみようかな」と、園での読み聞かせに母親の代わりにやってきた父親もいれば、歯科検診担当医の父親は、「もっと子どもに歯の大切さを伝えたい」と、歯医者のスタッフを大勢連れてきて、動物の着ぐるみまで着て、劇団のように演じてくれた。父親のアイデアと情熱が保育をさらに豊かにしている。
園の中にちょっとした活躍の場があったことで、父親の眠っていたあそび心に火がつき、子どもや園のことに真剣に向き合うようになっていったのだ。

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